群島の浦辺で「聞き書き」された,サウダージの心


淺野卓夫






美自由大学の旅長・今福龍太と、来訪する「声」の客人・剛造ガナシとの十六年にわたる対話篇、『アーキペラゴ 千々石islands』(岩波書店刊)が、往復書簡と競演テクスト、写真、詳細な注を付して、2006年上梓された。

アーキペラゴとは、多島海、あるいは群島。だまし絵本の海と島、つまり地と図の関係性が瞬時に反転しあうこの語がもつダブルイメージが、歴史と詩の島々を航海する想像力の旅の、出発のヴィジョンだ。それは、現代世界をのみこもうとする国家の大陸原理の氾濫に抗して、境域と境域とをつなぐ未聞の群島状テリトリーのほうへと意志的に離脱し、あらたな世界の像を想い描くための思考の問題であると同時に、その多島海の波のぬくもりに直に触れるための、方法論の問題でもある。とりわけ言語的な面に注目するとき、方法としてのアーキペラゴは、言語を論理の意味性から、口承性と音響の物質性にくるりと裏返し、音としてのことばが事物の宇宙に回帰する野生のポエジーの創造を、群島巡りの航海の旗標として高らかに掲げる。日本語の花火(ハナビ)と、朝鮮語の蝶(ナビ)を、その音を通じて大胆に架橋し、イメージを炸裂させる詩人吉増剛造の驚嘆すべき比喩感覚とその背後に広がる想像力の自由度の秘密を、かつて今福龍太は「擬声語詩学(オノマトポエティクス)」と命名した。浦、裏、心(うら)、あるいは占、恨み、さらにウラー(ロシア語の歓喜の叫び)、盂蘭盆(ウラバン、サンスクリット語)、そして万葉集(折口信夫)の「悠々(うらうら)に」、E・A・ポーのulalume、亡命詩人ブロツキーのurania……。本書では、詩人と人類学者、両者の交差する声が、たとえば「ウラ」という音を仲立ちにしてことばの千の飛び石を機敏に跳ね、文字通り言語の国家大陸を横断する、めくるめくポエジーの群島の翳を刺戟的に頁のおもて面に浮上させる。

イルランド、奄美群島、合州国南西部(サウスウエスト)、カリブ海、ブラジル。いまも鮮血を流す歴史の裂傷を負う、これら共有された具体の地勢に粘り強く意識を寄り添わせ、ことば=響きの多島海の風を果敢にわたる、ふたりの剛胆な詩の魂の舟が呼び交した信号の記録、それが『アーキペラゴ』と題された書物の正体だと言えよう。ところでこの本には、その内容の柱をなす対話篇はいうまでもなく、書物全体として、いくつかの「声」の出逢い、何層かのオーラルなことばの経験をくぐりぬけて制作されたという裏話がある。じつは、かくいうぼくが編集に協力した注も、その一つなのだ。

本書の註は、たとえば著者や編集者(なお、『アーキペラゴ』の編集を担当されたのは、ぼくら「巡礼」の道連れ、樋口良澄氏)から指定された項目について、注釈者が文献資料を渉猟・調査し、文字の山にまみれるようにして、補足的な解説を執筆したものでは、ない。二月、東京・神保町と茅ヶ崎海岸で、ふたりの著者が十六年の対話を回想するインフォーマルな歓談の場が、セッティングされた。そこで、かれらが直観のおもいつきをたよりに、土地、人名、事物など、詩的ダイアローグの小さな曲がり道としての註の項目を次々と取り出し、それにまつわるさまざまな周縁的な記憶の挿話を即興的に語り出すのを、ぼくはまさに「聞き書き」したのである。今福龍太と吉増剛造。この旅の導者、詩の師匠(マエストロ)のあとを追って、十年以上、北海道・札幌、ブラジル、奄美群島への探求の漂泊をつづけた自己の学び逸れの旅をつうじて、そしておよそ三年、サンパウロの奥地で、忘れられた日系移民のコロニア語(ピジン化した日伯混合のヴァナキュラー言語)による問わず語りに耳をすませた孤独なフィールドワーク体験をつうじて更新された、ぼく自身のあらたな耳と手の連絡による想念の「聞き書き」である。

ヴィ=ストロースの写真をめぐる本書所収の「時の回廊 記憶の光」と題された対談のなかでは、「サウダージ」という感情の謎がひとつの話題になっているが、ブラジル/ルゾ=アメリカ圏外の住人にとってはなかなか理解するのが難しい、この玉虫色に発光する情動の意味論について今福龍太は別の著作でこう論じている。

「「サウダージ」の含意には不思議な両義性がそなわっている。それはたしかに愛するものを失った痛苦と悲しみの感情であるが、同時にまたそれは希望でもあり喜びにも通じている。喪失はまた愛着そのものに転化する。それはけっして絶望ではない。なぜならサウダージの感情には、いわれなき憧れと希求と、記憶への激しい欲望がつねにひそんでいるからである。人はときに、サウダージの欠如そのものにたいしてサウダージを抱くことすらある。サウダージは、ブラジル的風景のあらゆる場面に見え隠れする、人間生存の深い原理のようなものですらある。」(『野生のテクノロジー』岩波書店、一九九五年、二五二〜二五三ページ)

サウダージ。それは、ぼくが難渋して一番最後に執筆した項目だった。最後の最後まで書きあぐねていたのは、ここに引用したような、いかにも「直覚」の人類学者らしい今福龍太の身体的叡智の回路をくぐりぬけた精密かつ的確な表現にくわえることなど、何ひとつないと思えたからだった。またそれ以上に、自分自身と幻のブラジルとの、愛憎半ばする別離の記憶がまだあまりにも生々しく、安易にサウダージの問題などにふれれば、情念の炎で火傷してしまうに違いないことを、もしかしたらぼくは無意識のうちに怖れていたのかもしれない。しかしいずれにせよ、編集から言い渡された最終の締め切りが迫りつつあったある日、リオ・デ・ジャネイロ(レヴィ=ストロースが「入り江に、心臓のあたりまで喰い込まれている」と活写したあの「浦」の街だ)の出身で吉増剛造夫人の旅する歌い手、マリリアさんも同席していた例の「聞き語り」の歓談の夜をひとり耳の奥で想いながら、ちょっとしたおもいつきが、『ペラゴ』注釈者の小さな心(こころ=うら)のなかでふと踊り出したのだった。

――そうだ、この今福龍太の「サウダージ」を、サウダージということばをまるでつかわずにサウダージの気分をみごとに詩的言語として転位=創造しつづける吉増剛造が、追憶のテクストでためらいがちにつぶやく「懐かしさ」、あるいは「思いの道行き」のほうから反転させてみたら、どうだろう……サウダージそのものについて語るのではなく、サウダージのかたわらで語ること……サウダージの裏側で、語ること……


ウダージ 最初のブラジル滞在から十年の呻吟の後に発表された吉増剛造の反=旅行記、『ブラジル日記』(書肆山田、二〇〇二年)。エキゾティックな風物を距離を持って観察し記述する通常の紀行文的方法論とはまるで異なる感性のスタイルによって綴られた本書には、この南米の祝祭世界をめぐるステレオタイプ的な文化景観の映像はただの一行も登場しない。しかし〈移り住む〉という過渡的・両義的な境涯に身を置く意識の内奥へと眼差しを反転させ、自己とさまざまな時間の層との内的な関係を深く沈思する日々の陰翳を訥々と転写することで、かえって、(本文で今福の説く)「サウダージ」というブラジル的な感情複合体の空気を日本語のなかへ移し替えることに成功した。日記や手紙などの私的な表現空間に刻まれた文章の数々は、ある意味で徹底的に、自分があとにしたはずの極東の島の残響に執拗にこだわり(テクストに呼び出される地名はたとえば東京八王子、たとえば岩手県、若狭、多摩、大阪……!)、不在の地と過去の〈幻影の人〉を少なからずその宛先とする。だが例えば「カズーロ(=繭、病蠶)」、「カロッサ(=荷馬車)」、「コメタ(=彗星)」など小さな異語の響きの訪れにも、またサン・パウロのマイナー詩人や日系移民の遠き声との不意の出逢いにも、いわれなきノスタルジーの疼きを感知してしまう詩人の聴覚の曲がり道をとおして、テクストを織りなす日常の言葉たちの歩みは、いつの間にか記憶と忘却と幻想とが交差する時間意識の境域を彷徨し始める。そこでは、郷愁と呼ばれる心の運動がいわば〈未知〉の、〈未来〉の風景へと回帰するのだ。以下に引くのは、柳田国男の自伝『故郷七十年』を読み解く吉増自身による最近の試論からの一節であるが、稀有な耳目をもつこの記憶の詩人=旅人による独自の「サウダージ」の定義を、そこに読み取ることも十分に可能だろう。「私たちは記憶を大事にするし、それにとらわれますけれども、その記憶が崩れていくといったらよいのでしょうか、育っていくというのですか、考えながら、書きながら、未知の領域にも思い出は進むのでしょうね。そういうふうにして生きていながら……思いの道行き、そう、道行きのようなところにさしかかる」(「柳田国男 詩人の魂」『私のこだわり人物伝 二−三月』日本放送出版協会、二〇〇六年二月所収)。

今福龍太・吉増剛造『アーキペラゴ 群島としての世界へ』(岩波書店、2006年)

(「borderlands#4 サウダージ特集」borderlands plus,2006年初出)











inserted by FC2 system